大学院にいて思うことを少し

少数でも見てくれている人がいるので、いろいろ考えていることを書いてみたい。

現在、福祉系の大学院にいる私は、大学院からどこかの研究職に就ければいいと思っていた。やたらと枕詞みたいに「実践」とかいう人には違和感を感じていた。実践が大切でないというのではなく、勉強しないことのいいわけに使ったらだめだと思っていた。本当に実践をすべきなら、大学院で無駄な時間など使うべきではない。大学院で勉強することに意味があると考えるから来たのではなかったのか。同僚や先輩を見ては不遜にもこんな風に思っていた。私は、どちらかといえば「アカデミック志向」なのかもしれない。

しかし、そんな私でも(だから)同年齢くらいのヤツが助手になってそこの話しを聞いていると、とても今大学に就職すれば研究ができるとは思えない。むろん今の大学は福祉の実践に忙しいのではないだろう。

これまでやってきたことは運動史の整理、バイトでは日々のガイドヘルプとホームヘルプ。いずれもなんというか、派手ではなく、後衛につくというのがぴったりだ。ルーティンの仕事なのだ。

派手にプログラムを立案する人、計画を作る人、いろいろいていいはず。「論文にソーシャルワークって入れないと就職ないぞ」とかそんなことはどうでもいい。なのに、そういう空気はここ数年強まっている。生活がかかると誰でも保守的になるし、あんまり、気の長い仕事はできない。

こんな私の生活もいつも反目している父に支えられていると思うと憂鬱になる。奨学金が止まってからそんなことばっかり頭をよぎる。