『健常であることを見つめる』読了、『その歩みはおそくとも』を読む

昨日は、大学でシンポジウムの手伝い→後輩に誘われて飲みに行くというパターン。で、40ページくらいしか読めなかった。

今日は、取り返す?ために頑張る。予定は、昼間で家でNPO法人関連の連絡などの仕事。終えると、立命館大学に資料を返し、少し、四条でぶらぶらする。電車の行き帰りで『健常であることを見つめる』読了。

さらに『その歩みは遅くとも』を読む。

その歩みはおそくとも (1960年)

その歩みはおそくとも (1960年)

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①まず、他の伝記と同じ学校で苦労する話しがある(いじめられる)。

②父は大学教授だったようで、比較的裕福な家だったが戦争を期に父はその仕事を辞める。母の健康状態悪化。妹なくなる。

③クリスチャンになる。結婚を考える。

④施設観として大切だが、整枝療護園にやっとの思いで入る。目的は訓練。しかし、前後の記述からは自分がいると父が再婚できないと考えたことも大きな要因としてあることは明らか。ここでも家族の扶養能力の低下→施設の図式は当てはまる。また「同病相憐れむ」的な肯定的施設観を今まで読んだところではもっているようだ。